techmi-tomi's はじめました
記念日
techmi-tomi's を始めることにしました。
ひと様に読んでいただくことを意識した文章と自分の絵画の進歩を公開するブログです。
誰のためになるのかと言ったら、自分のためです。人との距離を意識しながらでないと、人は生きていかれないから(ってそれっぽいセリフです)。読んでいただくためには、少しでも心地よい文章を意識して、自分自身を整理して。
少し前から何か文章を公開することに興味が湧いていたのです。
その1か月程前からオンラインでプログラミングを学んでいて、最終課題がオリジナルWebサービスを作ることだったので、自分の罪のない初心者絵画を公開するサイトを作ってみよう思っていました。
そのオンラインプログラミング学習を始めたきっかけは、大好きな石倉洋子先生(一橋大学名誉教授のフリーター)が六本木アカデミーヒルズで募集された英語でのグローバル人材育成セッション?にエントリーし、見事に落ちてしまったためです。
受講料が浮いた。
どこかへ旅行に行ってもよかったと思います。しかし洋子(先生)に拒絶された(被害妄想)思いは、しつこく洋子に関連付けてやろうと考えたのです。
洋子先生は、その1か月程前からあるオンラインプログラミングコースを受けていらっしゃいました。全くの初心者コースですが頭を悩ませ、時間の無い中四苦八苦していて、それを楽しそうにお話してくださいました。瞳をキラキラさせていて素敵でした。
「先生がプログラミングを学ぶ?ゴールはなんですか?」
「え?だって、これからは英語とプログラミングの時代でしょう?
ゴールなんてないわよ。ずっと先があるの。」
くそ、好きだぜ。
学生時代にWebデザインを学んでいながら秘書の道を歩いていることを後悔していた私は、なんとプログラミングを学び直すことを考えていたのです。あのままWebの世界に進んでいれば、今頃一攫千金・・・。
生きていると、何が繋がって道となるのか。
罪のない絵画公開サイトと思っていたのに、最近は「文章」のことばかり考えていました。
単に考えが暴走していただけですけれども、むかしむかし、23歳の頃にハワイ島で少しだけ働いていたときの話です。ハワイ島の空気が少しでも日本のお客様へ伝わるように日々のことをブログに他の従業員と交代で書いていました。月のこととかゲッコー(イモリみたいな可愛い爬虫類)のこと、本当に小さなことをゆるっとぼやっとふわふわと書いていました。
あるとき、30代後半の女性が1人でハワイ島を訪れ、私は彼女を空港からホテルまで送迎することになりました。Jeepを飛ばして「いや~昨日までマウナケアの頂上は雲で見られなかったんですけどね、今日はラッキーですね~」なんてお決まりの文句を走らせて。
すると「tomiさんって、あのブログのtomiさんですか?え??お若いのに。私、あのブログを読んで癒されています」と。
あの頃私は、お茶の出し方も名刺交換の仕方もよく分かっておらず、お客様の前で大あくびをしながら仕事をして、代表から泣くまで叱られている人間でした。そんな人間が、30代後半のきちんと仕事をして稼いだお金でハワイ島を訪れて・・・疲れた心をほぐしに来た女性に喜んでもらえていた。衝撃でした。
自分のWebサイトを考え始めたとき、偉い文章を書けなくてもできることがあるのだということを思い出しました。誰かのために、なんて偉そうなことはできませんが、何かをやっていればいつか繋がるのだろうと思います。無理のないように続けてみようと思います。
2018.05.16 作
記念すべき1作目は、ここ一番のお気に入りです。鉛筆でガシガシ描いていたら、絵画の先生が鉛筆の跡を指で撫でました。するとどうでしょう。雰囲気のあるぶたが現れたのです。これぞ匠の成せる技。
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