試し描き
はじまりは転職だった。
長く勤めた法律事務所を辞めて、自由な秘書職に就いたのだ。
お給料も良くなったしパワハラもない。プレッシャーもなければ責任もない。弁護士同士の喧嘩に立ち会って議事録を書かされることもないし、誘導しなきゃならない先輩も指導を求める後輩もいない。
私は自由。
社員用のおやつを買って、種類の多さを褒められる。上司指定のレストランを予約して、上場企業の秘書室へアポイントのお願い電話を掛ける。午前中はやることがないからもう一人の秘書さんの子育て話を熱心に聞く。上司が会話に入ってきたら笑顔で頷きコメントは差し控える。それが上司の緊張を緩め、更なるパフォーマンス向上へと繋ぐのだ。なんて。
苦痛だった。
個を殺して相手のために空気に流される。いっそのこと殺してくれ。いや、激務からの解放。神様がくれたご褒美。もうわからない。私何がしたかったんだっけ?法律事務から離れて秘書職のスペシャリストになろうと決めたのに、優雅な日々がこんなに苦痛だとは思わなかった。外資系転職エージェントからは外資系企業の法務部への誘惑メールが来る。ばか。今はだめ。
方角確認。
まずは自分の居場所を確認して、歩く方向をキチンとしないと。何する?取り敢えず自由とお金が手に入ったのだから、よし、遊ぼう。週7日予定をいれることもあった。とにかく人に会ったりイベントに参加したりジム行ったりサウナ入ったり。
過去との遭遇。
イベントサイトを眺めていたら人物画デッサン会(本当はクロッキー会)を見つけた。青春時代を思い出す。一時は美術館すら入れないほど芸術拒否反応に悩まされた。過呼吸になり気分が悪くなって、顔を上げられないまま美術館を出る。美大には行かれない。そんな苦い過去はただ懐かしい。絵が描けないのじゃなくて、阿保なだけ。芸術は高度な知識と自分と向き合う力が必要で、それが足りなかった。またやりたい。今は阿保な自分も受け入れられる、向き合える。だって暇だから。
苦痛からの解放。
楽しかった。コミュニケーション能力が独特な人達といると、何でもありで誰でも正解で差し控えなきゃならないコメントは何もなかった。みんなが何かからヒントを得ていた。空気、笑顔、沈黙、自慢、遠慮。全てが創作意欲への栄養だった。
夢から醒めた。
1年くらい通っていたら、へのへのもへじが最高傑作レベルになってきた。モチベーションが落ちたのだ。絵画の基礎を知らない。そんな自分にイライラし始めた。そんな中、みんなで合同展覧会を開くことになった。「私には出せる絵がない。でも飲み会は行く。」本当にそうした。楽しかった。この人達とはいつまでも話をしていられる。好かれようとしなくても心地よい空気が流れていた。自分の漂いたい方向へ身を任せるだけだった。
ブレブレの絵画教室
私、外で風景画を描けるようになりたいんです!水彩画を教えてください♡「tomiさん、クロッキー会出てたの?人を描くって一番難しいんだよ。」クロッキーやりたくてクロッキーやってたんじゃないもん。絵を描く環境に入りたくて、たまたまそれがクロッキーだったんだもん。ここから私、ゆるーく本気出します。教えてください。
ゆるい本気で再始動。
また気づいてしまった。水彩画やりたいのに、まず下書きを描けない。四苦八苦。先生が「描いてあげようか?」「お願いします(素直)」色塗り色塗り~。辞めた、デッサンを習う。一番苦手だった鉛筆デッサンを習う。クラスを変えて立体長方形のブリックからやってみる。測り棒を使ってしっかり観察の日々。芸大大学院を出た先生から直々に教わる時間。大人になるって素敵だね。
「先生、デッサンって特殊な能力ではないですか。この力って何の役に立つのでしょうか?」「うーん、普段の生活には何の役にも立たないでしょうね。でも・・・ものを見る視点が変わるかもしれません。見方が変わる・・・」「っ!?分かりました!!分かっていないけど、それ以上言わないでください。ちょっと自分で考えたい。」質問したくせに。
そんな日々が続いています。幸せです。
2017.05.07 作
絵がうまい人って、家でも絵を描くっていうじゃない。私も形から入りたい。描いた絵を水彩画の先生に見てもらう。「いやぁ~、途中で飽きちゃってぇ~、左のうさぎから段々右に向かってやめちゃった。右のうさぎなんてもう。」「!!いや、これはこれ以上やったらいけない。ここで終わっていい。」芸術って前向き。まだまだ勉強でございます。
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