芸術鑑賞
最近美術館へ行くだけ、終わり。では物足りなくなってきた。
「皆でこの展覧会へ行きましょう。」というものに参加してみたけど、
リズムが合わない。お人好しだからだと思う。リズムが分からない。
観賞中はバラバラなのだけど、ふとした時にお仲間へ感じたことを伝えている。
集中したいからスルー。逆に、あ、何か言いたいって時に、
誰に話しかけていいのやら。気を遣ってしまい、充分観賞できたか分からない。
そこで見つけた。
展示している方のトークイベント。現代アートに限るのだけど。
先日参加してみたのが、写真家 宇田川直寛さんの「パイプちゃん、人々ちゃん」。
トークイベントには、同じく写真家の横田大輔さんも参加。
聞き手には美術批評家の沢山遼さんがいらっしゃいました。
トークイベントのタイトルは「根本的な話がしたい。」
そもそもこの展示は素人には結構難しい笑
観賞してから対談を聴くのもいいし、その前でも。
私はなんだか難しそうだったので、観賞前にトークイベントに参加してみました。
展示内容については難しいし(話を伺うと面白い)、
今後の宇田川さんの展示を追って知っていただきたい(私が説明するより)。
とにかく芸術を本業にしている方々のトークって本当に面白い。
正に、学生時代に私が美大受験を諦めた理由がそこにあるような気がします。
敬語になっちゃった(尊敬ですよ)。考える力が半端ない。
毎回「質問」したくても、「好きな食べ物は何ですか?」レベルしか思い浮かばなくて、
イベント後に何かお話してみたくてもどうしたもんだかネタが浮かばない。
ただ次こそは、何でもいいから聞いてみる、ということをやってみようと思う。
というのも、ようやく最終日に「パイプちゃん、人々ちゃん」を観に行ってみたら、
自分の中に小学校低学年くらいの頃の気持ちが沸々と浮かんできたから。
トークイベントに参加しないで展示を見たら、「なんだこれ?」で2・3分で
観終えていたと思う。
その後だったので、展示の試みが私の胃の奥の方へ届いてきて、
「っ!?この感じ、あの時の気持ちだ」になりました。
小学校低学年くらいの頃、学校終わりに友達からの「遊ぼう」には憂鬱で、
部屋で一人ずーっと手を動かしているのが良かった。楽しかったわけではない。
例えば、いらない紙切れをビリビリ破いて、裂けたバサバサの紙の部分を折って整えたり、
又は指で撫でて整えたり。それだけ。暗い笑。
だけど決して心を病んでいたわけではなくて、学校では女番長もとい女ガキ大将だった。
そんな私を学校の先生は頼りにしていたし、スポーツも勉強も平均よりちょっと上くらいで
決して優等生でないところが、いいポジションをムードメーカーみたいなポジションを
確保していただけで。
だけど学校から帰ると、とにかく一人になりたかったのかもしれない。
要らない紐とかリボンを結んで、結び方とか知らないのに色んな方法で結んでみて
そこをテープで留めてみたり。でも結局出来上がりはコンセプトゼロだからヘンテコだし、
不器用な自分にイライラしたり。だけどなんだか気持ちよくって辞められない。
苛々のせいで決してトランス状態になってはいなくて、納得いくなにかを掴みたいのだけれど、
夕方頃、母親から「お風呂洗ってー」とか「冷蔵庫のおかずお膳に出してー」とかいう言葉で
中断されておしまい。
いつの間にかやらなくなっていたのだけれど、宇田川さんの展示を拝見して
あの頃を思い出した。
今はとっても宇田川さんと横田さんと沢山さんに質問したい。
「これって、今回の展示の一部分でしょうか?」
「でも、そこにはパイプちゃんと私、私と私しかいなくて、
人々ちゃんが不在ですね。」
展示の一つとして、このコンセプトを文章にまとめていらっしゃる本です。展示会が終わった今、ゆっくり読ませていただいています。うーん、芸術やる人ってこんな思考で生きているのか・・・勇気があるな。
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